「地方には産業を興せるような起業家やエンジニアがいない」――。
地域のデジタル化や新産業創出を語る場で、半ば前提のように繰り返されてきたこの言葉は、果たしてどこまで実態を反映しているのだろうか。むしろ問われるべきは、「地方では産業人材が育たない」という認識が固定観念化されてきたのではないかという点にある。
そうした前提を静かに、しかし確実に覆し始めているのが、石川県の加賀市だ。
同市は2022年4月、国家戦略特区「デジタル田園健康特区」に指定され、人口減少や少子高齢化といった地域課題に対し、デジタル技術と規制改革を組み合わせた“実証フィールド”としての位置づけを明確にした。さらに2024年10月には、世界中からドローンエンジニアを集めた国際会議を実施、ドローンや自動運転、AI・IoTの実証を支援する「加賀市近未来技術実証ワンストップセンター」を開設し、技術実証のハードルそのものを制度的に引き下げる環境を整えている。
注目すべきは、その一連のアプローチが従来型の企業誘致や外部人材依存とは異なる点にある。加賀市は、その長期計画の中で、実証というプロセスを起点に域内の人材を育て、その人材が地域課題と結びつきながら新たな産業を生み出していく“内発的な成長構造”の設計に踏み込んだのだ。
その象徴が、ドローンエンジニア会議だ。単なる育成セミナーではなく、トップレベルのエンジニアクラスターを地域に呼び込み、その思考や試行錯誤のプロセスを地元の若者や事業者と同じ空間で共有させることで、知識の伝達にとどまらない“行動変容”を引き起こしている。
消滅可能性都市から、“挑戦可能性都市”へ
加賀市は、人口減少という現実にも向き合っている。2024年に公表された人口戦略会議の分析では、石川県内で「消滅可能性自治体」とされた自治体の一つに同市も含まれている。
人口が減る。若者が減る。働き手が減る。従来であれば、それは「できない理由」になっていた。しかし加賀市は、その前提を逆に捉え、人手が足りないからこそ、ドローンや自動運転、AIを試す意味があると考えた。地域課題があるからこそ、技術の使い道がある。都市部より余白があるからこそ、実証できる。
そしてもう一つ重要なのは、ともすると自治体の予算消化に陥りがちな先進的実証実験を、地元の産業育成に確実につなげるための構造設計だ。実証を通じて地元の人材が育ち、育った人材が地域の課題を解決し、その解決プロセスが新たなサービスや事業へと展開されていく。“産業が内側から生まれるチェーン”として動かさなければいけない。
加賀市で際立つ「人が育つ設計」の独自性
全国には、先端技術に取り組む自治体がいくつもある。
例えば、福島県の福島ロボットテストフィールドは、陸・海・空のロボットを対象にした大規模な開発実証拠点として、ドローンの性能評価や操縦訓練などに活用されている。茨城県つくば市は、スーパーシティ型国家戦略特区として、AIやビッグデータを活用した住民サービスの社会実装を進めている。長野県伊那市は、ドローン物流「ゆうあいマーケット」など、地域課題に対するサービス実装で知られる。
それぞれに明確な強みがある中で、加賀市の特徴は少し異なる。
実証の場を整備するだけでなく、産業育成までを見据えて「人が育つ場」を一体的に設計した。ドローンを一部の専門家だけの技術に閉じ込めるのではなく、導入やサービス実装にとどまらないかたちで、地域の若者や市民、地元事業者、行政職員が実際に触れ、学び、担い手へと変わっていく環境を構築している。その結果として、地域の中に“技術を扱える人材”が継続的に蓄積されていくのだ。
もちろん、その見据えるところは、人材育成にとどまらない。
育った人材が地域の課題を起点に新たなサービスを生み、それが事業化へとつながることで、加賀市の中に10年後、100年後の時代を担う産業の土台が形成されていく。
つまり加賀市は、「実証拠点」でも「スマートシティ」でもなく、“人材が育ち、産業が育ち、それが市民に還元される、その連鎖していくチェーン構造”そのものをつくろうとしている。
クリーニング店からドローンエンジニアへ
その象徴的な存在が、加賀市の温泉街で代々続くクリーニング業を営む松下孟導(まつしたたけみち)さんだ。
きっかけは、日々の仕事の中にあった。
「クリーニング品の配送を、ドローンでできないだろうか」
そんな素朴な発想から、松下さんはドローンの世界に関心を持つようになった。
松下さんは、加賀市が全国に先駆けて開始したリスキリング支援制度をいち早く活用し、オンラインのプログラミング講座で基礎スキルを習得。さらに2023年からは、加賀市で開催されたドローンエンジニア会議に参加。そこで築いた人脈を起点に、全国各地で行われているエンジニア養成プログラムにも積極的に足を運ぶようになる。実証試験を重ねる中で、オープンソース技術への理解を着実に深め、実践力を磨いていく。
当初は「見る側」に過ぎなかった。しかし、機体を飛ばし、失敗し、原因を分析し、改善する――その反復を重ねる中で、徐々に「作る側」へと移行していく。2025年にドローンジャパン社が開催したエンジニア養成塾では、選りすぐりの参加者の中からMVPに選出されるなど、その成果は外部からも評価され始めている。
松下氏インタビュー
――ドローンに関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
松下 :本当に身近なところからです。クリーニングの仕事は、小ロット・小口配送という側面もあります。海外のドローン物流の事例をネットで見たときに、“これをうちでもできたら面白いのではないか”と思ったのが最初のきっかけでした。
――その後、加賀市主催のドローンエンジニア会議に参加されたのですね。最初に印象に残ったことは?
松下 :全国から集まったトップレベルのエンジニアの方々が、実際に手を動かしながら議論している姿がとても印象的でした。正直、最初は“ドローンを飛ばすだけ”だと思っていたのですが、想像以上に難しく、同時に非常に刺激的な世界でした。その中に自分も入り込み、試行錯誤できたことが大きかったと思います。
――今後は教える側にも興味があると聞きました。
松下 :はい。まだ学ぶことは多く、正直に言えば手探りの部分も多いのですが、自分がつまずいたポイントは、これから始める人に伝えられると思っています。そうした知見が少しずつ共有されていくことで、地域の中に技術の蓄積が生まれ、結果として地場産業を支える基盤が育っていくのではないかと感じています。
――こうした場を用意している加賀市の戦略について、どのように感じていますか?
松下 :市民に直接関係しないかたちの実証試験が行われるケースは、これまで各地で見てきました。しかし加賀市では、むしろその逆で、世界最高レベルのエンジニアクラスターを誘致し、地元の人間と直接交流できる場をつくってくれた。一見遠回りに見えるけど、実際の影響は非常に大きかったと感じています。
――取り組んでいる開発プロジェクトなどはありますか?
松下 :リアル空間のデジタルスキャンを3次元データとして再現し、その空間をAIに把握させて位置を制御するシステム(VPS)を活用した自律走行型ローバーの開発を行っています。このようなシステムは街の中で自動の小口配送ロボットなどを運用するのに最適です。もちろんクリーニングの配達にも使える。
――実際、加賀市にドローン産業は根付くでしょうか?
松下 :やはり、実際に手を動かして試せる機会があるかどうかで、得られるものは大きく変わります。そうした環境が整っていれば、地方であっても人材は十分に育つ。その人材が一歩ずつ産業を形にしていく――その最初のプロセスを、自分自身の体験として実感しています。
自治体に問われるのは「呼ぶ」より「育てる」
多くの自治体は、エンジニアを外部から呼び込むことに注力してきた。それ自体は重要な施策であり、否定されるものではない。しかし、加賀市の取り組みは、もう一つの選択肢を提示している。すなわち、地域の中にいる人々を、技術の担い手へと変え、新産業を中から興すという発想である。
重要なのは、この仕組みが行政単独で成立しているわけではないという点にある。加賀市が戦略を設計し、制度やフィールドを整備する一方で、現場での実装を担っているのが、民間主体であるデジタルカレッジKAGAの存在だ。
デジタルカレッジKAGAは、行政とは異なる機動力と柔軟性を持ち、エンジニアコミュニティの形成や育成プログラムの実行、さらには外部エンジニアとの接続を担っている。いわば、制度と現場、外部と地域を接続する“触媒”の役割を果たしているのである。
このように、戦略を描く行政と、自由度高く動く民間組織が連携することで、はじめて「人が育ち、産業へとつながる回路」が現実のものとなる。
松下さんの事例は、その成果の一端に過ぎない。
重要なのは、これは特定の個人に依存した成功ではなく、構造として再現可能であるという点にある。条件さえ整えば、どの地域においても同様の変化は起こり得るのだ。日本の各地に数多くの松下さんが登場した時、地方の未来は変わるのであろう。
お問い合わせ先
株式会社デジタルカレッジKAGA
info@dckaga.com
